最後に、市ヶ谷時代のトラブルと専務との思い出

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就職氷河期に私が新卒で入社した市ヶ谷の会社は、当時の三菱銀行の系列にある、安定のイメージが強いシステム子会社でした。匿名掲示板では「IT業界の公務員w」などと言われ、うんうん頷いていました。

私は入社3年目から、ある新聞社の購読料回収代行システムWindows NT化のプロジェクトマネージャーをつとめました。他社が構築したNECACOSからの移行でした。顧客調整や予算など予実管理をしながら、設計もコーディングも手伝うなんでも屋です。NetWareが全盛で、NTは3.51から4へ、Oracleは6から7へ、そしてIBMがNetfinityを出荷し始めた、Windowsサーバー黎明期です。

経験ゼロのプラットフォームながら、結合テストまでなんとか力技(徹夜と土日作業)で完了し、ストレステストも終えました。しかし、本番稼働でトラブルが発生しました。佐川急便の発送用伝票の印刷ができないのです。膨大な量の伝票印刷データがスプール溢れをおこしていて、どうにもできないとすぐにわかりました。大量のゴミとムダが発生することから、ストレステストでは省いていた処理でした。

ほどなく、15人の同じ部門のメンバーが作業場に来ました。ぎゅうぎゅうです。私自身がなにがなんだか状況をつかめてないと「とにかく行け。手伝うことがあるはずだからって言われた」と。課長も、私の教育担当だった常に激務の先輩も来ていました。

全員で膨大な量の複写式伝票をひたすら手書きしました。間に合いました。少しすると専務が、それを見計らったかのようにお詫びのために作業場にみえました。専務はトラブルの間はお客さまとも電話で直接連絡をとり、プロジェクト中もお客さまの社長と会ったり、意識だけ高く未熟な私の知らないところで強くサポートしていただいていたそうです。菓子折りは、すぐに作業場のみんなの食料になりました。

いつでもどこでもだれかに支えられ、助けられているんだと改めて認識した瞬間でした。そのときの専務のスマートな、そして本質的な責任の取り方は私の目指す具体的な姿になっています。社長賞などの賞は、助け、支えているすべてのひとに感謝できる特権なのだと認識するようになったのも、この頃からです。仕事で定義される成功は、いかにお客さまと仲間に恵まれていたかを示すなにかだと思っています。