高尾山の倒木と地主も大変という話

f:id:tak_jp:20181011070034j:plain 昨日は、前日遅くまで元同僚と飲んだ分をどうにかすべく、午前中に高尾山のぼってお昼には戻ってきました。

山頂への道は、先日の台風などの影響からか何本もの大木が道をふさいでいました。すぐに思い出したのは、実家が大家をやっているアパートの桜を「倒れたら莫大な賠償金を払わされる」ことから、数年前に伐採したことです。戦後に植えたもので、そろそろ中がボロボロになっている頃なのです。

朽ちた樹が倒れて通行人が亡くなったら、どれだけ賠償金を請求されるかわかったものではありません。道路に散った桜の花びらですべって怪我をしたら管理責任だ賠償だ金くれ、毛虫がわく季節は苦情と文句と陰口、落ちた葉っぱですべって怪我したらやっぱり賠償だ金くれなのです。

「あれだけ毎年楽しませてくれた桜を、わたしは切れないね」。伐採は3人の職人さんにそんなかんじで断られましたが、彼らだって桜の樹のしたを掃除してくれていたわけではありません。それより、まだ花を咲かす桜の樹を「経済的合理性」から切ろうとする地主は、ただの悪人に過ぎないのです。

桜の代わりになにか植えましょうよと提案もありましたが、のんきなものです。街ゆくひとを楽しませるために自腹きって植えて、毎年何十万円もお金払って掃除や維持をして、そのうえなにかあったら管理者責任を問い詰められて金せびられる世の中なんですから。

公園の遊具は、怪我をした子どもの親が自分の責任は棚上げして自治体の管理者責任を追及した結果、数年で撤去されゼロになりました。戦後に桜を植えたエリアもおなじになりそうです。植え替え時の莫大な一時コストとその後の莫大な維持コストを払えて、さらに訴訟リスクを抱えてもよいとする自治体は、どこにも存在しません。