神が降りてくるひとを真似してみる

f:id:tak_jp:20181007085034j:plain きょうは、F1 鈴鹿グランプリの決勝があります。リビングで妻とDAZNで楽しむ予定です。会場のノリはこれまでのグランプリで鈴鹿が一番楽しそうですね。風、めちゃくちゃ強くて、そのうえ大雨まで降ってきても楽しそうです。

とまあ、来年から各地のF1を観戦する旅を始めるのに備え、今年からDAZNでオーストラリアからすべての大会のフリー走行から決勝までみています。

今年もっとも印象に残っているのは、シンガポールグランプリ、予選Q3でのハミルトンの「神がかった走り」です。すべてが完璧、いや完璧を超えた走りをみせました。妻曰く「平昌オリンピックの羽生結弦選手のシングルと同じくらい神がかっていた」です(妻はオリンピック会場まで応援に行きました)。

楽家やマンガ家も、傑作を説明するときに「神が降りてきてつむいだメロディーが云々」「神様が一生の中で、たった1本だけくれた鰹節を削りながら云々」といった表現をします。いろいろ理由はあっても説明が面倒だし、神様の仕業にしておくかというテクニックだと思っていましたが、この頃はそれが本心なんだと思うようになりました。

存在が「マンガの神様」とされる手塚治虫のような方は別枠として、神様が助けてくれるのは「人間離れした努力を重ねてきたひと」のように見えます。

80回目のポールポジションに輝くひとにやっと神が降りてきて、プレッシャーのなか何十曲もヒット曲を作り続けたひとにやっと神が降りてきて、オリンピックで金メダルをとってさらに苦難を乗り越えたひとにやっと神が降りてくるようです。

私などが神頼みをしても効果がなさそうなことはわかりました。それでも、ハミルトンらの「言い訳しない、ひとのせいにしない」「喜ぶときは周りを巻き込んで大喜びし、ダメなときは思いっきりダメ人間になる」は真似していこうと思っています。これだけでもいいことが引き寄せられてきそうです。