「謝らないひと」と「必要以上に謝るひと」

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顧問先の会社の「謝らない」従業員が今月末で会社を去ることになりました。麹町の同じ事務所で仕事をする60歳近い方です。職務規定違反に関する注意と改善要請にもかかわらず、むしろひどくなったことが退職の理由です。

彼は12月末での退職(解雇)予定だったところ、私が事務所を離れているときは勤務時間をまるっとSNSやPCでの映画鑑賞にあてていたことがわかり、9月末退職に縮めていました。その際に、成果ではなく拘束時間に対して給与を払うと合意したのち、ほぼ毎日、虚偽の勤務時間を申請していたことがわかり即日解雇やむなしとなりました。

「勤務時間中ずっとエンターテインメントを楽しんでいた」「仕事していないのにしていたことにした」のどちらも本人は認めず、反省はもちろん謝ってもいません。前者は「何もコメントしません。言い訳もしません」、後者は「そういう話をするのは無意味だ」で逃げていました*1

一方で、半年ほど前の彼は、私との間のある出来事をきっかけに「なんでもすぐに謝る」ひとでした。とにかく謝る。こちらの伝えたいことを先取りして自分と関係ないことでも謝る。そんなひとでした。「ある出来事」は、こちらからの依頼への回答を誤魔化し、ウソで逃げようとしたところを彼に「謝らせた」ことで終了させた出来事です。

「謝らないひと」は「必要以上に謝るひと」でもあるのです。どちらも根っこは同じです。「その場から逃げたい」の現れで、誤魔化すために平気でウソをつくのと同じで、自己防衛のためになんでもしているだけです。

「その場から逃げたい」が実現できればよいので、誤魔化せなくなったら「言い訳しません。判断はあなたにお任せします。では」「あなたのやっていることは無意味だ。そんなことに付き合うつもりはない。では」でよいのです。そして、謝ることで「その場から逃げたい」が実現できるとわかれば、その相手には「とにかくゼロ秒で謝ってやる」ことが彼にとって合理的な行動になるのです。

さて、カーネギー『人を動かす』にもあるように、職場で働かない一般の従業員どころか、どんなに凶悪な犯罪者でさえも「自分が悪いとは思っていない」ものです。むしろ「自分は正しい」のであり、それを理解できない相手やほかのだれかを強く恨んでいます。

『人を動かす』をお手本に、私も基本的にはなにがあっても相手を責めることはしません。事実がどうなのかにも興味がありません*2。『人を動かす』の私なりの改良版である、「こちらの見方にも間違いはあるかもしれない」として、ふたつくらいの案を出し、相手に選んでもらうことで対処していくようにしています。

それでも、うまくいかないことが多いのが現実です。また、本当にパワーを消耗し、メンタルもやられます。『人を動かす』にはありませんが、「そのようなひととは付き合わないようにする」が一番の解決策だと思います。

人を動かす 文庫版

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マンガで読み解く 人を動かす

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*1:事務所内ルータによる端末ごとのアクセス先ログ、今どきなIoTデバイスによる鍵の解錠や施錠のセキュリティログは何か月分も保管されています。

*2:事実ではないつじつまの合わない作り話など「安っぽい芝居」を見せられたくないのです。