ウラジオストクで思う投資と平和

f:id:tak_jp:20180815065752j:plain 昭和26年、シベリア抑留者はウラジオストク港から帰日(ダモイ)した……そんな場所でお休みをしています。

ウラジオストクは、冷戦時代にはソビエト連邦の最前線基地としての軍港でした。25年ほど前まで外国人の立ち入りを禁止していた閉鎖都市であり、その名残で軍隊や戦争に関する施設が街のあちこちにあります。

まあ、どの歴史的な施設も、中国人の親子が大人は大声でどなりながら、子どもはきゃっきゃ走り回っているので、なにかを考えるって場所ではないのですが。ロシア人のガイドも「今日の給料もよくさわぐなー」くらいのテンションで淡々と仕事をこなしているようです。

私はいまと未来と自分を考えるだけで生きるのは精一杯で、過去をどうこう考えたりほじくる余裕、さらに過去の他人のことをどうこうする贅沢は人生にないと思っています。

ですので、戦争について過去に学ぶといっても、戦争映画では悲惨さではなく若者の凝縮された青春にただただ胸を締め付けられるだけです。そして、それより真っ先に思い浮かぶのは「インサイダー情報と平和株」の話です。

いまはネットがあるためにあらゆる情報が即座に伝達、共有されると言われています。織り込み済みの「正しい株価」が瞬く間に形成されると言われる根拠です。 それはネットなど関係なく、この国の終戦前から「株屋の間では当たり前のこと」だったという話です。

太平洋戦争終戦間際の昭和20年の8月に入ると、「平和株」とよばれる百貨店の三越、繊維産業の東洋紡、鐘紡など、消費や生活に密着する企業の株価が突如として上昇した、と。

絶望にあったこの国の焦土において、東京証券取引所では、株屋がインサイダー情報に「この国の希望」を先取り、取り引きしてたんですね。沖縄や広島、長崎、(当時の)満州樺太だけでなく各地がまだ戦禍にあるなか、市場では「未来の、平和な国の正しい株価」がつくられていたという話です。

以下、阿川弘之「葭の髄から」のコピペです。

「株屋の早耳」のエピソード。

「昭和十三、四年頃軍事機密の漏洩に手を焼いた憲兵隊が、東京の街角で、偽の極秘情報をそつと流してみた。どのくらいの確度と速度でどこへどう伝わって行くかの実験であつた。結果は、一時間後にもう、京城(現在のソウル)市内でその噂がひそひそ囁かれてゐて、伝達経路を調べてみたら、株屋同志、業務用連絡長距離電話の至急通話だつたといふ。」

「昭和二十年八月上旬、神奈川県日吉、慶応構内の連合艦隊幕僚の作戦会議。情報参謀の中島親孝という中佐が海軍軍人としては異例の、株価に関する発言をした。「東京株取引所の日報を分析してみると、どうも妙な事が起こっている。七月下旬以来じり高歩調をたどって来た日清紡やもとの鐘紡など、いわゆる平和株が八月に入って一段高となっている。これは何か、国策上の大変化が起こる前兆と考えざるを得ない。我々の関知しない所で、重大な事が討議され、実行に移されつつあるのではないか」 

これは作戦乙参謀の千早正隆中佐(後に「呪われた阿波丸」やキスカ無血撤退の物語を書いた人)の話。彼は言う「あの時ァ驚いた。情報軽視の傾向があった我々海軍の軍人に比べて、町の株屋の何という勘のよさ、耳の早さかと、僕ァ感心したねえ」。