子どもには投資ではないふつうの勉強をさせた方がよいという話

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自分語りになりますが、実家は自家用車をもっていませんでした。私が通っていた小学校は、巨大企業の社長の長男だとかいくつかの病院を経営する院長の娘といったひとが同じクラスにゴロゴロしていました。「車をもっていない」家庭はクラスでは私ともうひとりだけで、子ども心ながら恥ずかしかったものです。

当てつけのようにピアッツァやソアラなど車のプラモデルを買っていた小学校低学年の私に、母親は「車なんて、TAKが学校をやめれば買えるの。でも、TAKにはいまの学校に通って、勉強をちゃんとがんばってほしいの。だから車がほしいなんて思ったことは一度もないの」とよく言っていました。

なんていい話なんだ……。

さて、実家には駐車場がありました。2か所あわせて20台分の駐車場がありました。80年代の世田谷区の実家近くの駐車場代上昇はそれはもう凄まじく、住宅地では全国でもトップクラスの価格水準になっていました。

自家用車のために1台、2台と区画を使うと、その分だけ「大きな」収入が減るわけです。駐車場代が6万円として2台もつと、それだけで「5年間で720万円」です*1

当時は駐車場でも礼金2か月は当たり前で、敷金も銀行においておくだけでその金利収入を期待できる時代でした。車庫飛ばしも当たり前で、ってこれは書くとマズいのかな? ともかく、駐車場は「毎月の駐車場代以外の収入」もせっせと稼いでくれる、魅力的な資産でした。自家用車をもたないことは、5年間で、720万円どころか1000万円以上の収入をもたらしていたのだと思います。

つまり……実家は「車がほしいから、一所懸命に働いて得た給与で買う」貧乏父さんではなく、「車はほしいかどうかではなく、価値を生まない負債だからお金を出さない」金持ち父さんを貫いていただけなのでした。

もちろん不動産収入で暮らすなんて、いまも昔もファンタジーです。父はもちろん、母も働いていましたが、贅沢な暮らしなど夢のまた夢で、慎ましい生活でした。家族旅行は熱海や箱根にある会社の保養所の抽選に当たったら行くくらいで、他は市民休暇村などを使っていました。

とはいえ、うーん、実際のところ駐車場は当時の多様かつ巧みな節税スキームのうえで経営されていましたし、「いい話」が、単なる自己啓発的な雰囲気で釣り上げる投資話につながる寓話になりそうです。オレ、「母親はぼくのために車ほしいのをがまんしているんだ!」と思って勉強がんばっていたんだけどなぁ。

*1:6万円は子どもの頃の記憶ですので適当です。もっと安くしていたのが、近隣の「業者」からしつこい「値上げ要請」があってのんだと言っていました。逆らうと放火されたりするのが「よくある」ことだったので、まあ、したがうしかなかったんですよね。