末期ガンの親との「少し距離をおいた」付き合い方

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妻の父親が「末期ガン」の告知を受けてから2か月がたちました。いまのところ私たちができることはなく、飼い猫の腎不全診断やふだんの仕事に振り回されているだけです。

私たちは、どちらの親が病気になったり介護が必要になったりしても「積極的な介入はしない」と決めています。はじめのはじめっから、自分たちはふだんどおりに生活することにしています。

私たちは医者ではないのはもちろん、介護のプロでもありません。スキル的にはなにもできない「ただのひと」です。「お医者さんには、わからないことはわからないと言って理解できるまでしつこく聞く」しかできない「ただのひと」です。

どんな治療の選択肢があるかを示すのは医者であり、どの治療を受けるか受けないかを決めるのは本人です。「その選択は間違っているんじゃないか。ちゃんとお医者さんの話を聞いたのだろうか。ネガティブな説明もあったのに無意識になかったことにしていないだろうか」と思っても、本人の好きなようにさせるのが一番だと思っています。

(介護は別ですが)治療にお金も出さないことにしています。私たちは「日本であれば」標準医療だけで世界最高水準の十分な治療が受けられ、高額医療費制度とあわせてお金の心配もないと考えています。甘言につられて「大金はらって先端医療の実験台になり医療の進歩に貢献する志」などももっていません。

妻が同僚などにそんな話をすると、まあ、まずは否定的な反応をされ、ついでに「おせっかい」を受けるといいます。妻にとっての救いは、私の実家の母が「子どもはなにもしないでよい。本人に好きなこと、やりたいことがあるなら、それをこっそり支えるくらいがよい」とアドバイスしていることでしょう。

母は妹と弟を病気でなくしています。妹はガンで、まあ、母(お姉ちゃん)の言うことなすことすべてに反発し、最後までケンカばかりだったそうです。母が紹介状書いてもらった最高峰の病院も勝手に退院して民間療法に走ったから死んだとかで、いまでも恨みつらみを言うくらいです*1

義理の母の看病も大変そうでした(これは父も同じですが)。とにかくお金です。「もう長くない」という診断で「それでは後悔しないように最後に最高の治療を」と入院させたところ、7年ほどとどまることになりました。支払った医療費だけで数千万円です。「世間体もあって」空室のままにしていた部屋の収入も、同じくらいの計算になります。

もちろん、私たちに子どもがいないことも「少し距離を置いた」付き合いにする原因として、大いにあると思います。親が子どもに期待することなどは、本能以外のものは備わっていないかもしれません。

だからこんな仮説に頼らざるをえません。

私たちは、親が子どもに「自分が病気」「自分に介護が必要」であるために、終身雇用などおとぎ話の時代に仕事さぼらせ、親の世代とは桁の違う社会保障費を払って満身創痍な世代に残りの少ないお金まで吐き出させ、ややこしい世界で日常を生きるだけで精一杯なのにさらに精神的に追い込むことは「望んでいない」と思っています。

「いつ死ぬかわからない親の看病に人生ささげる自分」だって、きょう死ぬか、あした死ぬかもわからないのです。多くの日本人が「あれやっておけばよかった」といった多くの後悔を胸にこの世を去ります。それであれば、その子どもは、好きなときに好きなことをやり続ける、「親ができなかったことをやる」のがよいと思っています。

「いや、親の看病だって『あれをやったおけばよかった』のひとつじゃないの?」。そうだとしても、看病や介護でいっぱいいっぱいになり「ああ心底疲れた。疲労困憊。お金どうしよう。早く楽になりたい。そのためには、早くこの親が…」といった考えがよぎってしまうことこそ、自身にとっても最大の不幸であり後悔だと思っています。

*1:子どもが東京大学の理系の難しいところに合格したことを聞いた当日か翌日に亡くなったそうで、それを見届けたかったのかなと思ったりはします。