高城剛が好きなら手塚治虫のエッセイ集もよむといいかも、という話

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昨日から手塚治虫のエッセイ集を読み直しています。高城剛の本に「もやっ」としたからですが、やはりというか、なんというか、1960年代から1980年代にかけて書かれたものでも1周、2周まわって新鮮で「いい」です、これは。

高城氏「映画はみなくなった。311で現実は物語を超えたから」

手塚氏「今の世の中は、狂気のような現実生活から映画でたかだか2時間現実逃避したって何になるのか?である。それでも、こんな世の中だから映画が必要なのだ。夢のバカバカしさは、人間がまったく夢をみなくなったときの空虚さを思えばよっぽどましなのだ」55年前

高城氏「アメリカに操られた日本の政治の陰謀で戦争法案がー。若者よこんな日本を捨てろ」

手塚氏「人命だけでなくすべての命を慈しみ、戦争による破壊と不幸から守るんだという信念をもたせる教育が子どもに必要。政治闘争ネタとして平和や反戦を唱えることには反対(年寄りに単純で純粋な若者が飲み込まれるだけで、それは戦争に突入したのとまったく同じ構図)。政治ではなく、まっさきに、子どもに命の尊厳の大切さについて教えてあげてほしい」35年前

対比はいくらでも出てきますが、高城氏をこき下ろすつもりは「少ししか」ありません。「もやっ」の理由も、自分のいろいろが、その9割くらいが高城氏の模倣なんじゃないかと思っているからです。

高城氏がさかんに持ち出す遺伝子検査は、私も同じころに遺伝子検査を受け、そしていまでもさかんに「遺伝子がー」と話題にしています。

ググると高城氏の親は茶道(煎茶道)の家元で、氏も免許状をもっているとのことですが、私も母親が和裁のかたわら茶道(抹茶のほう)も教えていて、実家にはむかしっから茶室があります。私はこまかなことに興味がわからず、茶道の相伝や許状といったものはこれまで取ってもないのですが、「ひととおり」こなせます*1

高城氏の「瞑想」好きも、心あたりあります。私が通っていた学校では、小学校の一年生のころから「瞑想」の時間がありました。20分かな。実際には「凝念」といわれ、奥の深い「心力歌」とセットなのですが、まあ、正座して手で桃の形をつくって目をつむるわけで、瞑想です。

高城氏のトリップ系の「すっごい体験」は……うーん、ボストンの自己啓発なセミナーで「火の上を歩いた」のが近いかなぁ。会社の研修ですけど

ですから、高城剛氏を「うさんくさい」としながらも、まっこうから否定はできないんですよね。どこか似ているからこそ、特にどこか根っこの部分が似ているからこそ、なにか言いたくなるのでしょう。そもそも「その劣化版がオレなんだよね」なわけですし。そして、実はそれは、とても多くのひとに当てはまるように巧みに構成されているんでしょう。

話変わってさらに、手塚治虫についても無理やり共通点をみつけると……息子さんである手塚眞さんと私は、(少なくとも)高校時代の担任の先生が同じでした*2

手塚氏は先生のところに何度か取材にきていたそうです。実際、氏のマンガをよんでいると、先生から教えていただいた内容と「ここ、かぶるなー」といった部分がたくさんあり、懐かしくもなります。「共感できないはずがない」のですね。

私は手塚治虫の作品は全集400冊はもちろん、24時間テレビで恒例だった長編アニメ、全集に未収録の「ワケアリ」もほぼ手に入れたような「手塚治虫ビイキ」ですので真に受けなくてもよいですが……「高城剛が好きなひとは、手塚治虫のエッセイ集などを片っ端からよむのがおすすめです。高城剛のいうことをもっと深く理解できるようになり、さらに先まで見通せるようになります」。

ガラスの地球を救え―二十一世紀の君たちへ (知恵の森文庫)

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*1:仕事などで「シンプル、シンプル」とうるさいのは、親から茶道をならった影響が大いにあるなと思っています。また、相伝や許状も、ビジネスや経済的な要請があればとるのもいいかと思っています。

*2:担任のB先生のことは大好きで、先生の企画した学習旅行にも参加しました。「学習旅行、なにそれ?」。私が通っていた学校にはおもしろいことに修学旅行がなく、「5人の先生がそれぞれ旅のコースを企画して、生徒全員の前でプレゼンをする。生徒はそのうえで行き先を選び(どこにもいかないのもアリ)、先生と一緒にさらに詳細をつめて企画を完成させて旅行する」イベントが代わりでした。「提案/公約の評価と投票、賛成した案の実現には当事者としてかかわっていく」体験学習であるものの、現実には「先生の公開人気投票」でもあり、不人気コースの先生をみるのはいたたまれなくなります。そんなイベントはいまでも続いているそうです。