「グローバル国家」的なゆるい話を一回だけ書いてみます

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私は幼いころから「借金ダメ、絶対。」と同じく「政治の話ダメ、絶対。」で育てられてきました。「集まりの場では病気、野球、宗教政治の話はするな。お金の無心などもってのほか」ですので正しいわけですが、昔からネットでは逆にそういった「現実社会で押し込められていたものがメインの話」のようになっていると感じます。

まあ、実家は「親戚が経営する出版社が実質倒産で住む場所もなくなった。そこで住まい用に土地と建物をタダ同然で貸して感謝された。出版社は誰もが名を知るくらいに大復活。お金もあまって、息子は政治家に。その政治家のさらに息子は30過ぎても働かずニート満喫。しかも、借地権取り戻したければ(借地権を相続した)祖母の代理人であるオレが9000万円で売ってやってもいい、と実家に突きつけてくるクソっぷり」という経験もしているので、政治や政治家と距離を置きたくなるのも当然です。

私にも政治家という何かへの「免疫」ができていますので、「トランプがー」「安倍がー」というのもありません。もちろん、トランプ氏は同じ不動産屋仲間として応援しています。もちろん、安倍晋三氏とはたまたま小学校から大学まで同じ小さな学校出身ですので、応援しています。さらに、たまたま幼稚園も安倍氏と同じなので、好き嫌い、支持するしないでくくるのとは違う感覚はあるでしょう*1。20年近く同じ環境にいたわけですから。

そのうえで、政治を志した政治家は、みんなが脊髄反射的に理解でき、支持されるような落としどころで政治をするのではなく、大反対をくらってでも、来年ではなく50年先、100年先を、日本ではなく世界をみすえた1:nやn:nの政治をしてほしいなあと願っているだけです。

過去や国と国の1:1の関係を政治に持ち込もうという「未来やグローバルと無縁で無関心な」年寄りはどの国にも、いつの時代にも多いです。それもいまなら、現実社会で政治的な活動をするのではなく、相性のよいネットで、その国の言語だけで、その年代の仲間内だけで「いいね!」しあうだけの活動が向いていると思っています。わずかとはいえ一部の若い世代が、このような年寄りの「代弁者」として食い物にされ、使い捨てられていくのをみるのは、さすがにいたたまれないです。

ブレトンウッズ体制からニクソンショックにいたったときの経験で、私たちは物理的な通貨制度を維持するリスクを身に染みて理解しています。1971年ですからおよそ50年も前のことです。近年のEUやTPP、FTAといった経済圏を軸にした共同体の考え方も、およそ60年前の1959年に調印され、「概念ではなく実在する」ことになったグローバルコモンズ南極条約システム)を超えるものではないですよね。

そう、若い世代ほどはまってしまった国家が統制できない仮想/暗号化通貨の一般化や、「国家? なにそれ」なお兄さんたちが司る新興グローバル企業があえて問題にさせている租税回避といった問題は、50年以上にわたって年寄りたちが凍らせたままにしておいた問題を表面化させただけなんです。

何がきっかけになるか、何が大きな推進力になるかわかりませんが、これから数年の間に世界中にも大きな流れができるんじゃないかと、期待込みの直感をもっています。「意識が高すぎる」新興グローバル企業と、「彼ら」の操り方を分かっている革新的な政治家は揃っています。生きているうちに、戦後からの冷戦、そのあとの混沌、その後の50年をつくるような新しい世界をみることができると思っています。

その先回りとして、この夏から、日本以外の国をたくさんまわってきます。期待や直感が「しょせんボンボン仲間の妄想」だと打ち砕かれることも、ちょっと期待しています。

*1:教会と一緒だった幼稚園はすでに廃園(正しくは休園)になっています。おもしろい幼稚園だったんですよ。