一番になると宣言して、実現する

さすが! 平昌オリンピックフィギュアスケート、男子シングルで羽生結弦選手が金メダルをとりました。妻も現地で応援しています。すばらしい!

私はなにか登壇の機会があると、この数年は「一番になりたい、と周りに言い続ければ一番になれる」と言い続けてきました。自分は言い出しっぺですから、人生かけてでもそれを実現させようとあらゆる努力をします。そして、周りのひとのなかで、自分も一番になったことがあり、それは自分の努力だけでなく、周りの多くの助けがあったからこそ実現できたことを知っている、真の成功体験のあるひとたちが、あらゆる助けをしてくれます。

「出る杭は打たれる」はありません。周りに宣言することで、自分を律することもでき、出し抜こう、ずるしてでも勝った者が正義という考えもなくなります。周りが助けてくれることで、自分だけのことではないと心から理解し、行動に現れるようになります。

ただ、この考えに、私はもともと否定的でした。真っ向から否定するくらいでした。小学校に入学してから「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す トウリモノイワザレドモシタオノズカラミチヲナス)」をずっと言われ続け、言い続けてきました。「徳のある者は弁舌を用いなくても、人はその徳を慕って集まる」が意味で、私の理解では、何かを宣伝したり宣言しなくても、努力を重ね徳を積んだ者はちゃんと見ているひとがいて評価される、そして後者の方が尊い、といったものでした。

英語では、"Good wine needs no bush" で、意味は「よいワインを出すお店には、看板はいらない(看板を出さなくてもひとは集まってくる)」です。こう、自己アピールの強い看板を出すようなお店を、ざっくり否定するようなフレーズだと感じます。

考えが変わったのは、卒業校の会誌に出ていた、高島彩さんの対談記事でした。座右の銘は、上にある小学校から言われ続けるフレーズだというものの、「朝の番組の司会は、だれにも譲らない、と宣言し、だれよりもそのための努力をしてきた」といったような発言をしていました。

そう、一番になりたいと言って、ずるをせず、だれもが認める努力を重ね、徳を重ねていけばいいんです。「だれにも内緒だけど、自分はだれよりもがんばっているから、きっとどこかのだれかが見ていて、いつか報われるはずだ」なんて、ファンタジーもいいところです。周りにいる、かつて周りのひとの助けと自分の努力をもって一番になった成功体験のあるひとの力を集めて、助言を得て、最短で一番になる方がいいんです。

そう気づいて、そのあとからの私は、「一番になりたいと思っているけど、だれにも言っていない、ファンタジーを信じるひと」に啓蒙するとともに、自分も、これで一番になりたいと、臆せず宣言するようになりました。