プロフィールサマリ

はじめまして!「Tak」です。長いこと本名を書いていましたが初見で読めるひともいないことから、サラリーマン時代の愛称「Tak」にしました。45歳くらい、就職氷河期最初の世代の男です。

  • 家族:妻と猫2匹(ラパーマ、ロシアンブルー)
  • 仕事:4社22年のIT関連の仕事をしたのち、2018年3月から麹町で不動産屋を始めました。
  • 好きな言葉:猫と女は呼ばないときにやってくる

生まれ〜学生時代

渋谷生まれ、世田谷育ちです。男ばかり3人兄弟の真ん中です。父の都合で生まれてすぐに長崎で暮らし、2歳で世田谷に戻ると兄のいる幼稚園に放り込まれるなど、手間かけずに育てられたと思います。

羽根木公園に近い幼稚園では、2歳では所属するクラスがないので、教会のミサをする場所で一日中ひとりポツンとしていたことが記憶にあります。淋しくて、ボクはどうして生まれてきたんだろうとイエス様と対話していました。

その頃から暇つぶしに本を読んでいたので読書家になり、ひとりが本当にへっちゃらな男に育ちました。聖なるクリスマスは天使をやって、真っ暗な部屋にロウソクだけ灯すレベルで厳かに過ごすものと刷り込まれましたから、クリスマスのばか騒ぎは今でも苦手です。

ちなみに、安部首相と同じ幼稚園出身です。いまでも教会は残っていますが、幼稚園は廃園になりました。

小学校はお受験でした。塾に通うことはなく、宅勉でした。青山などいくつかの学校で遊んだあとで「どこに行きたい?」と詰められ、吉祥寺の学校に行きたいと答えました。自分で行きたいって言ったんだから入るための勉強はだれよりもするよね、入ってからもだれよりも勉強するよね、と、母親の術中にはまりました。

お受験は吉祥寺の学校と、行きたいと言ったおぼえもない仙川の学校を受け、両方受かりました。仙川は、翌年に弟が受験して通うことになりました。私は斥候だったのでしょう。

私の受験の経験はこれだけです。父親は青学に通っていたのですが、小学校5年で都銀の支店長をやっていた父が過労死し公立に転校、その後は受験、受験の繰り返しだったことを子どもにはさせたくないとの方針でした。いまでも、心の底から感謝しています。ありがとう。

ちなみに、安部首相と同じ学校出身です。

3人兄弟みんなが幼稚園から大学まで私立に通いましたから、親はいつも大変、大変と口にしていました。ふつうの製造業のサラリーマンで、ジジババからの支援は一切受けない方針でした。オモチャや高額なお年玉を与えるのも厳禁でした。ジジババさまとの思い出は、銀座のスエヒロでステーキを食べた1回だけです。

友だちはみんな海外旅行やなんやらキラキラした長い休みを過ごすなか、会社の保養施設や市民休暇村で過ごすのがわが家でした。家にはクーラーも車もありませんでした。

そんな「ウチにはお金がない」がウリだったわが家も、ダイナースの最初からの会員でした。地主だったので、何棟かのアパートや何十台分かの駐車場からの収入もありました。自宅には茶室もあります。子どもの教育のために無茶な「ウチにはお金がない」設定をしていたのだと思います。お金はコップからあふれた分だけを舐めるように使う、みたいな。

「地主に生まれれば、人生の問題の大部分が解決できる」というライフハックがあります。しかし、現実社会で最強なのは間違いなく「失うものが何もない」ひとです。地主は先祖が残したものを守ることが唯一の使命で、生きている実感もなく、心も乾きます。

実家では、いまも旧法借地権の問題を抱え、95歳になる祖母が大家を続けている問題を抱えています。収益率が落ちた物件の建て替えも検討しています。

(更新中)