人生100年時代と「これからの10年」の大切さ

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昨日、妻の父が息を引き取りました。ひとり娘の妻は今週の頭から札幌の実家に泊まり込みでした。母にかわって、たっくさんある手続きや手配に奔走しています。

平均寿命にはほど遠い年齢ですが、統計や他人とくらべることに意味はなさそうですね。

この国の平均寿命は世界トップクラスです。生まれたばかりで命を落とすことは珍しく、戦争、疫病の流行、飢饉やその他で命を落とすこともなくなりました。治療に関する医療技術や制度は、世界でもっとも充実しています。

人生100年時代」も流行語になっています。私たち就職氷河期世代も、あと50年、60年をどう生きるか、今すぐ考えるべきのようです。うむ。

一方で、だれもが、統計や制度から想像できるような充実した、世界でもっとも幸福な生涯だったかというと、まだ大きなバラツキがありそうです。長生きできる、平和ですてきな国なのに、生き残ることが最大のリスクであるかのように不安を煽るビジネスも溢れてますね。

統計的には、100歳まで生きる確率は10年後に死ぬ確率と変わりません。そんな統計のどうこうを気にしようがしまいが、家族と自分だけの「これからの10年」をなにより大切にしようと、改めて思うのです。

会社の決算作業はめんどくさいからこそ楽しい

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会社の決算から申告までひとりでやってみようと、今週は地味で地道な日々を過ごしています。めんどくさそうなことだからこそ効率化の余地も多く、数字の理解のために取り組むのも楽しそうかなと、茨の道に足を踏み入れています。

実家には代々おつきあいのある税理士さんがついています。いざとなったらその税理士さんに相談すればとも思いましたが「クラウドは業者が情報を名簿屋に売っているから使うな」とか言う、手書き伝票命なひとたちだからなぁ……。

個人の確定申告はひとあし先に終わらせています。もちろん、マイナンバーカードを使った電子申告(e-tax)です。

電子申告は「昨年の申請データを読み込んで、追加や修正をして送信」でだいたいが終わります。還付金の受け取りや追徴されたとき用の銀行口座も登録しています。めんどくさそうなことは、片っ端から効率化してきました。昨年は収入源が増えて少し覚悟していましたが、例年と同じくささっと終わりました。2月までサラリーマンでしたから給与、そして会社都合の退職金がありました。以前から顧問など副業もあり、退職後は会社つくって報酬を受け取り、不動産や仮想通貨やFXの自動売買や外国株式などの所得もありました。保険関連と医療費の控除はゼロ、寄付と個人型確定拠出年金の控除はあって、住宅ローン控除はありません。アフィリエイト収入は数百円……申告不要です。

収入の多角化を目指したところ、資本家的な投資活動による収入がしめる割合が高くなっています。ひとり社長としての「労働」が趣味扱いになりつつありますね。わは。

会社の決算作業を自分でやることも、法人の利益を増やす労働のひとつです。税理士さんへの丸投げが9割以上らしいですが、自分でやるのも楽しいものです。寄付やチャリティ活動も並行しています。お金を動かして得たお金、労働で得たお金、どちらも等しく大切なお金だと思っています。このバランス感覚を維持していきたいですね。

新版 ひとり社長の経理の基本

新版 ひとり社長の経理の基本

「世田谷の地主の息子」と昭和のサラリーマン

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私は普段は「世田谷の地主の息子」という設定ですが、松濤の病院で生まれてすぐに長崎に引っ越しています。2歳で父が実家に戻り、あわただしさのなか私は羽根木公園近くの幼稚園に2歳児のクラスはないのに放り込まれ、通います。

つまり、実態はサラリーマン家庭です。父はこの国の高度成長期を支えた製造業に勤めて、国内、海外と長期出張と転勤だらけのサラリーマンでした。父は実家に戻ってすぐに名古屋に単身赴任します。よって、ちょっとした休みは「家族で名古屋」に全フリでした。

1981年(昭和56年)、私が小学2年生だった夏に家族で木曽御嶽山に登りました。近くの民宿に泊まったと思います。御嶽山は日本では独立峰として、火山として、富士山に次ぐ高さだそうです。数年前にも噴火し、火口付近で多くの方が亡くなられました。

御嶽山は1979年10月末にも噴火し、私たちが登ったのは入山制限が解除された直後でした。山頂にはだれもいませんでした。ただでさえ製造業直撃の第二次石油危機で超不景気だった中部地方。父はまっさきに助けたい思いがあったようです。伊豆に大地震があれば余震もあるうちに地割れを乗り越えて民宿に泊まりに行き、グリコ事件があれば数万円単位でお菓子を買ってくる父でした。

また、父は転勤でも社宅に住まず、長崎では青山町に戸建を買い、名古屋では大須にマンションを買っていました。どちらもバブル期に手放しました。特に名古屋は夏季オリンピック確定ムードも重なり、高騰したタイミングで売り抜けできています*1

うむ、なんだかんだ、私は父が誇りなんでしょうね。不動産屋さんやってるのもなにかのつながりです。海外旅行はもちろん、ディズニーランドや遊園地にも行ったことがなく、デパートで買い物やレストランでお食事もありませんでしたが、忘れられない経験もたくさんさせてもらいました。

*1:その後、名古屋のマンション価格はオリンピック落選とバブル崩壊が重なり、暴落します。

麻雀、家族の団らん、田舎の夏空と陽射し

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麻雀についてあれこれと。私は小学生のころから家族で麻雀を楽しんでいました。こたつの天板をひっくり返すと緑のフェルトがはられていて、雀卓に早変わりだった時代です。

近ごろはこたつもないわけで、歳が近い兄弟といった家族構成も減っているようで、家族わきあいあいで麻雀を始めるきっかけがなさそうですね。そんなことより、YouTubeみたりスプラトゥーンやったり、iPadMacBookでプログラミングとかに取り組んだりしているんでしょうか。

麻雀にはだれもが言うように、人生そのものとも言える多くの学びがあります。私の根っこにある「ノリと運だけで生きていく」も、麻雀の「ツキや流れを大切にする」からですね。

さて、私が中学生のころ学校行事で夏の学校があり、私は浅間山山麓というのか嬬恋村に麻雀牌をもっていきました。部屋の見回りにきた先生も「麻雀か、あとでいれてくれよー」なんて言ってました。

ただ、先生の部屋で意見が分かれたようで、ある先生が「お前らなにやってんだ!」と怒鳴り込んできました。「ぼくが家から持ってきました」と名乗り出ると、同じ通学路だった友だちが「ぼくはTakから相談を受けていて、たぶん大丈夫だけど自分が先生に了解をとると言っていました。それを忘れていたぼくが悪いと思います」と嘘100%のフォローで助けてくれました。助けむなしくめちゃくちゃ怒られたあと、陽射しのあたる板の間でふたり、2時間正座しました。私は「じゃあなんでトランプはOKなんだよ」と頭ぐるぐるで反省ゼロでした。そして、その友だちは、白血病で1年後に亡くなりました。

というわけで、麻雀というだけで、こたつと家族団らん、理不尽と正義、田舎の夏空と陽射し、友だちの死……あれこれ頭に浮かんでくるのでした。

猫はバルミューダでぐふぐふと

この国では雪やあられがこんこん降ると「猫はこたつで丸くなる」わけですが、うちの猫はバルミューダ Smart Heaterの上で軟体動物になってぐふぐふいってます。こたつの代わりなのでしょう。

Smart Heaterはラジエーターの最高温度の設定ができて、うちは55度にしています。猫はもちろん、小さなお子さまにも安全な温度とされています。Smart Heaterは、デザイン、機能、操作の調和が神がかっているバルミューダの傑作です。廃番ですので、壊れるまで使い続けます。ちなみに、加湿器(Rain)、空気清浄機(AirEngine)、トースター、扇風機は手放しました。

さて、眠りにつくまえにタブレットで昭和のマンガをよんでいると、冬はこたつの場面が多いですね。「うる星やつら」のでっかいコタツネコとか、季節関係なくでてきますが。ともかく、昭和という時代の象徴になっています。

戸建ての実家にもこたつはありました。冬には家族みんなで麻雀を囲んでいました。10歳ころから、こたつといえば麻雀でした。そして、麻雀といえば、かつて暮らしていた勝どきのTHE TOKYO TOWERSの共有施設には「雀卓つきでタバコOKな麻雀部屋」がありましたが、あれ、いまも残っているんでしょうか? 稼働率が気になります。笑。

「昭和には現代人が忘れている人情や優しさが」と高齢の方から聞く機会が近ごろ続きました。まあ、メディアがおっかけている「いま」は刺激を優先した凄惨なできごとばかりです。過去を振り返るときはのほほんとしたできごとです。たぶん。そして、テレビ大好きな高齢者が「昔はよかった」と言っているだけなのでしょう。床暖房とエアコンが効いた、人情や優しさで支え合わないと生きていけない貧しさとは別世界の、いまの若者には決して手に届くことのない都内一等地のお屋敷で。

凶悪事件は昭和の方が多く、社会全体の雰囲気は重苦しく、理不尽な偏見と差別に満ちていました。それをさっぱり忘れてるんだよなーなどと思いながら、麻雀を再開したくなっています。こたつで。