マンション買って幸せになるにはどうすればいいのでしょう その2

「ここ絶対欲しい!って物件に無理してでも住むべき」の続きです。

でも、「ここ絶対欲しい!」ってのがズレてないかは気になりますよね。特に住む「地域」。どの物件に住みたいかではなく、どの街に住みたいか。自分が好きな場所、ココこそ自分にとって正しい場所なんだ!と信じられればまわりの雑音など気にならんわけですが、それだけの境地に達するのはなかなか大変です。

「ここ絶対欲しい!」が、「一切の妥協を排した至高の地、住まいの原点にして最高峰」みたいな立地であればまだいいですが、それが、なんかの勘違いでザ・ど底辺な立地だったりすると救われなくなります。

「東京に詳しい友だちに聞けばいいんじゃ」と思うかもしれませんが、甘いです。地方出身の妻は、大学出て就職してから東京にきたときは住む場所に悩みまくったといいますが、世田谷生まれ世田谷育ちの自分だって、住む場所にはいつでも悩みまくってます。東京のほかの場所なんて知りません。そもそも地主の実家だって、ひと昔前は田んぼばかりで、縄張って「こっからここまで自分の土地っ! 家は高台に建てよっ!」とかやった場所ですし。

そう、地方出身者がやってはいけないのは「東京のひとに住む場所を相談する」ことです。だって、知らないんだから。知らないけど、ちょっとプライドあると期待にこたなきゃって思いからか、知ったかぶっててきとーなこと言うから余計に厄介です。神戸の地場のお店で「東京へのお土産になる神戸っぽいスイーツ」を聞いたら、店員全員まきこんで大相談会やって結論でなかったことがありますが、相手の立場で真剣に考えた本当の回答なんて、いつでもなんでも、そんなもんです。

ブロガーもこぞって紹介している、ちまたでは流行っているけど資産価値は微妙そうな、しかもやたら棟数や戸数が多い物件ってあるじゃない。それ買うのがこの国の「一次取得者」の基本だし、そんなのが集まった今風な地域でいいんじゃないとか思うかもしれませんが、それも甘いです。広域集客のために一般ウケに徹して、派手で……たしかにそれも再開発地域の大規模マンションとして大切な要素ではあるんだけど。

もちろん「住めば都」も幻想です。どんだけ住んだって、心のどこかが拒否している住まいは都になんてならないです。都、なめんなよ。「ここ絶対欲しい!」じゃなきゃダメなんだ。命と引き換えに(だいぶはしょってるな)そこで人生つくる覚悟が最初っからあって、すべてを受け入れた「正しい」住まいだけが、都になれんだよっ!

と、

ひとまず、みんな大好き「東京タウンマトリックス - 首都圏の街と人種がひと目で分かる相関図 - 東京DEEP案内」を熱心にみることはムダにならんと思います。

tokyodeep.info

思い立ったら「東京DEEP案内」、物件相談を受けても「まずは住みたい街から決めようよ」と「東京DEEP案内」を差し出す。

自分も、住んだ地域を分譲、賃貸かかわらずこちらの画像にプロットしてみました。黒歴史曳舟もそのまんま。やっぱり、何というか……何というかですね。 

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まず、結論。黄土色から黄緑のゾーンが無難でありおすすめ。できるだけ上のほうで。ここのゾーンに「ここ絶対欲しい!」があれば、あとは買うだけ、です。

さて、

いまの自分があるのは、勝どきTHE TOKYO TOWERSを「買って売って」の結果ですし、液状化ゾーンを否定する気はなくむしろ肯定派です(THE TOKYO TOWERSのあたりはそもそも液状化なんてしないし。豊洲は知らんけど)。虚栄心だなんだと言われようが、湾岸のド派手施設てんこ盛りタワマンの高層階や角部屋は、だれもが一度買ってみてもいいんじゃないかとさえ思ってます。

利便施設や行政機能、多くのサラリーマンの勤務先に直結する交通機関がしっかり整備されている。もちろん大手デベが分譲し、スーゼネが施工。大規模ゆえに多くのことがサービス化されて所有ではなく賢くシェアで済ませられ、プールが付いたジムまである。それをサラリーマンが買えて中古価格もわりと安定していて、田舎の同窓からの羨望の眼差しが痛く、嫉妬さえ心地よい。これらを所有するという行動は、きわめて合理的です。

自分の収入だと無茶? 無茶しねえとなんもはじまらねえんだよ! と、『狭小邸宅』っぽく契約に追い込まれることなく、われ先にとバラつけに走り契約を待ち望む検討者ばかりなのは、完璧な住まいとしての整合性がとれていて、収支想定にも破綻がなく合理的だと判断しているからですなぁ。

ともかく、買って入居します。過剰なまでに完璧な構造の建物と内装が用意され、契約前にすべての情報がオープンに提示され、床にカバン置くときはハンカチ敷くようなデキる営業さんが担当し、自分のわがまま条件とマッチングでき、これしかないと選んで買った物件です。吹き抜けエントランスの高揚感にニヤけます。「コンシェルジュ」さんも妻の次くらいに美人で「おかえりなさいませ」とか声かけられるだけで癒されます。思い描いていた住まいとして理想の世界です。最高の満足を得られるはずです。

……あれ?

おかしいな。なんだこの幸せ感のなさは。欲望や理想は手に入ったら、行き着いたら、かえって虚しいもんなのか。なんでも望みどおりになったはずだけど、ひょっとして自分はものすごくつまらんものを追っかけていたのではないか。「最高の満足」が「自分にとって正しい」わけじゃないんじゃないか。と、最大公約数にあわせた無味乾燥なつくりものの世界で、ひとり賢者モードにひたっちゃう自分。

完璧で味気ないものよりも、個性があって味がある感じが確かに流行っている。

 

ネイティブアメリカンの書いた書物を読んでいる。

人は美しい自然の中にいれば本当の自分を知ることができる。

 

便利なものばかりにまみれていると、どんどん芯の部分の自分とのつながりが薄れる。

電車、車、アスファルト、高層ビルに囲まれていると時々息苦しいような気持ちになる。

 

志賀高原に行った。

朝は静かに生まれ、夜は果てしなく深くて大きい。

自分は自然によって生かされている本当に小さな存在だ。

 

日経MJ - 2009年03月07日 - 小澤征良さんのコラム

うむ。そうだね。ぼくには何かが見えてきたようだ。一度きりの人生で大切に守るべき何かが、それに、捨ててしまえばすっきりするちんまりした何かが。